【雑記ノート】(おまけコーナーを作成中!)

2011年9月1日木曜日

『夜更けのアリス』 著者:葵夏葉


   夜更けのアリス
             葵夏葉

 夜は()けていた。住宅の明かりは消えて、ただ、ひっそりとたたずむ建物ばかりが立ち並ぶ姿はまるで建物自体が眠ってしまったのか、はたまた死んでしまったのかとさえ思えてしまう。あくまでも建造物としての家だった。人の住む街というよりは、建物の立つ街と言った方が合っているかもしれない。
 それでも、音だけは響いている。静けさの中にありながらも、その静けさに消されない音、それは蝉とはまた違う音で、コオロギのようであったり、名前の知らない虫であったりする。けれど、もっとよく聴いてみると、換気扇の空気を排出する音や、電球のかすかな音。そして、携帯電話の音が何度も家の中から鳴り響いている。
 夜には夜にしかわからない音がある。太陽が出ている間が朝や昼であり、出ていないのが夜だという考え方は人間の生まれる以前の考え方だと思う。なぜなら、人間の生まれたあとの夜とは、人間が活動しなくなったときを言うのだと感じるからだ。
 けれども、そんな時間帯など、都会に行けば行くほどありはしない。――ということは、都会には本当の夜がなく、人間が作った人工的な夜であふれているということだ。
 ときどき、大きな水の塊が空から降ってくる。実際、それが水なのかさえわからないのだけれど、なにかと思って空を見上げても、けっきょく、正体はわからない。けれど、この塊は雨でもなければ、鳥の糞でもない。その理由はより感覚的なもので、触れたときの肌触りや臭いでわかる。ただし、明確な正体は暗くてよく見えないのだった。
 ただ、重くて大きな水の塊なのだ。そして確かめようにも、暗くて見ることができない。暗いからこそ、その塊の正体が見破れない。見破れないからこそ、私はそれに疑問を持ち、あえてそこに注目することができる。それがもし、最初から些細なものだとわかったら、私は関心など向けていないだろう。むしろ、日常のあり触れた雑念の中に埋もれて、ゴミのように捨てられていくだけだ。
 早朝に起床して会社へ出勤し、夜になる頃に帰宅し、ゆっくりした時間が欲しいなと思いながら、私は夢を見る。そういう生活の中では見えないものがある。見ようとするのではなくて、その場に存在しないかのように見える。あたかも、それが大きな水の塊のようでも、大きな夜のようでもある。
 空から降ってきた塊のように、得体の知れないものが現れたとき、私の中では一種の好奇心が湧いて、日常の中に非日常的な要素がまぎれ込んできたという想いになる。それはとても興奮することで、自分が違う世界に来たかのような気持ちにさせる。
 まるで、夜は異世界の物語のように、そこにあり続ける。
 そんな音に対して敏感になりながら、夜の散歩を楽しんでいると、時折、変な声が聴こえてくる。人間なのだろうけれど、人間らしくない声。人間が発するには多少声色の違う、生き物のような声。それを聴いていると、いままでの世界がウソのように、私はどこか自分の存在に自信が持てなくなった。
 こうしていまは自分の気持ちに素直になれているけれど、また会社に通い始めると、どうしても自分を見失ってしまう。それがこの声のように、人間であって人間でないものになっていそうで怖い。
 そしてもっと怖いのは、違う自分になっていることを知らない自分がいること。けれど、それは会社の中で上手くやっていけているということかもしれない。
 でも、どうしてか、私にはそれを受け入れることができない。改めて夜の世界に身を置いて思う、現実逃避のような自分の想い。
 それでも、決して会社自体が嫌だというわけではなく、会社自体は好きだし、同僚との仲間関係や、上司との上下関係も良好だ。むしろ、そこに避けるべきものがない。
 だからこそ、会社を辞めることができなくて、どこかに自分らしい自分、感性豊かな自分を作り上げようとしている。そんな自分に嫌気が差すときもある。けれど、それもきっぱり自分だと理解している。
 こうして私が明け始める夜の帳の中を歩いているのは、きっと『不思議の国のアリス』のように、ふと現実から離れて、そこから見える現実を眺めてみたいと思っているからだろう。
 ちょうど、夕焼け色に染まり出した雲が明るさを含み、これから始まる一日を予感させる。
 耳を澄ますと、遠くの山からはかすかに電車の音がこだまする。細長い道の合流点からは車が何台も通り過ぎ、前日に降った雨が、豊かな土壌の中で濾過され、次々と流れていくようだった。
 私は一台のバイクとすれ違った。なんの変哲もない黒いバイクであり、乗っていたのは女性だった。これから遠くの仕事場へと向かうのかもしれない。灰色のヘルメットを大きく被り、エンジンが奏でる音をマフラーが黒煙と共に響かせる。それを見たとき、先ほど見かけた新聞配達のバイクを思い出した。もちろん、郵便配達とは違って、もしかするとまだ寝ているであろう家の前に止まり、静かに新聞を置いていくのだ。
 実際、私は新聞を読んでいないが、となりの家の田中さんは読んでいる。日経か、読売のどちらかだとは思ったが、そのどちらにせよ、私はその新聞配達人を見たことがない。となりに住んでいても、その音でさえ、ゆっくりと夢を見ている私の耳元には聴こえて来ないのだ。
 そう考えると、不思議の国のアリスになった気分になる。
 世界はいくつもの面からできていて、表や裏といった規模ではなく、もっと大きくて細かい面がたくさんある。そういう面が時間と共に継続されるから、世界は成り立っているのだと、私はアリスになってみて思った。
 もう時間だ。ずいぶん短い時間だったのかもしれない。今日一日は有給休暇をもらっているから、もう家に帰って寝ようと思う。明日から会社へと出勤して、ばりばり働こうと思う。
 なぜなら、毎日アリスだと、どちらが本当の世界かわからなくなってしまうから。